海の資源をめぐって 4
この問題が解決するまでに、その後何年かかかりました。
問題は国内だけではありません。
トルーマンの声明から1か月後、メキシコは、アメリカの先例をふまえて、さらにもう1歩先に進むことを決めたのです。
その時発表された公布文によると、メキシコは、自国沿岸の大陸棚の管轄権だけではなく、そのスーパージェイセント、その上にある資源(法律用語で、その海域の魚介類をも含むという意味)まで含めた権利を要求しました。
この海域で漁をするアメリカ漁船は少なくなかったので、ワシントンとしてはこの決定を承認することはできず、なんとかメキシコ政府の意向を変えようと試みました。
しかし、もともとすべての事の発端を自らがつくり、自国の要望を通すために、新たなる「法律」までつくってしまった後で、アメリカが何をいっても、偽善者的にしか聞こえませんでした。
メキシコは、アメリカの要求を無視しました。
以後、メキシコの決定を侵したアメリカ船舶は、抑留され重い罰金を課せられました。
いずれにしろ、メキシコの要求はまもなく受け入れられました。
トルーマンの声明が、それまでの取り決めを改定するのに、またとないきっかけだと考えた南米諸国とカリブ海諸国は、海と海床に関する管轄権のみならず、統治権も含めて、範囲を沖合200マイルまで拡大し、結果として、その海域すべてを彼らの領海とすると言い始めます。
アルゼンチンが1946年、1年後にチリ、エクアドル、ペルーと続き、コスタリカが1948年に同様の要求を掲げ、1950年にエルサルバドルが続きました。